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2009年1月8日

旧正月(新暦1月26日)を「大人のかくれ家」で迎えます

ツリーハウスには4畳半の和室がある。

1月26日(旧正月)にはここでモチを焼いて食べます。

戦後、田舎で母が熟柿水飴(注参照)をつくった。

甘いものがない当時、これほどウマイものはなかった。

モチを焼いて、この水飴をつけてたべた。Img_6104a_1_1

当時、サトウキビからも水飴を作った

ツリーハウス(樹上家屋)に火鉢を置き、竹炭をおこし、その上に金網を置く。

暖房は火鉢だけ。

きっと冷えるだろう。

でも、ここでモチをやくのは夢だった。

その夢が実現します。

60年も前のことです。

田舎では父母・兄弟姉妹がそろって正月(旧暦)を迎えた。

正月は神さまの行事だから、元日の水汲みから祭壇へのお供え、

家族の食事まで全て男の仕事ととされた。

大晦日にはしめ縄を張り、三宝に昆布を巻き、お米をいれ、その上に

干し柿を載せた。

母は一切手出しはしなかった。神に仕えるのは男の仕事とされた。

今にして思うと、責任をもって正月行事を取り仕切った父親にアタマが下がる。

あのころは雪が多かった。

鳥取の田舎は雪に埋もれた。

積雪は40cmはくだらなかった。

暗いうちに起きて、まず若水を汲む。

その水を神だなにお供えして、あずき雑煮を煮た。

甘味のない、小豆が入った、おかゆだった。

モチは入っていなかった。

スゴロクなど家族で遊んだ記憶もあります。

座敷のコタツから雪に埋もれた裏庭を眺めながら、囲炉裏で焼いたもちを食った。

田舎でも食料難の影響があった。

モチ米でつくったモチが一番美味しかった。

カキモチにして、焼いて食べた。これもうまい。

さらに油で揚げた。大きくふくらんで、歯ごたえもいい。

モチ米とうるち米を混ぜてモチをつくった。たしか「ハタギ」と呼んだ。

粟(アワ)モチもつくった。

ハタギもアワモチもそれほどうまいとは思わなかった。

好きではなかった。

好きだったのはトチモチだ。

トチの実が取れるのは中国山地に近い、山深い集落だ。

そこに嫁いだ叔母が毎年、届けてくれた。

標高が低いからだろうか、我が家の近くにはトチの木がなかった。

叔母のトチモチにはトチの実がたっぷり入っていた。

それだけに色も黒く、独特の風味があった。

これは焼いて食べた。

砂糖や水飴がおいしかった。

さて、つりーハウスで正月を過すのはいかに?

ここで寝泊りするつもりです。

暖房は湯たんぽだけ。

毛布、寝袋、ふとんを積み上げて、その間に包まって寝る。

灯りはない。でも本を読みたい。

携行できる蛍光灯があるのでそれをもちこむ。

携帯ラジオも持参します。

さて、どうなることやら。

でも旧正月には雪がほしい。

すっぽりと雪を被った木々の間に小鳥のさえずりが響く。

寝覚めてしばらくはふとんに包まって自然の声に耳を傾けよう。

なつかし少年時代の再現です。

これが大人のかくれ家の目的でもあります。

(注)熟柿水飴のつくり方

  全ての工程を母から教わったわけではありませんが、熟柿を拾い集めて、

  煮詰めたのは容易に想像できます。

  まず熟柿をバケツ一杯集めた。これを持ち帰り、ヘタをとり皮や種ごと水を混ぜて

  しばらく煮る、そこでコシます。絞った方が早い。

  その液をさらに煮詰めます。煮詰めると甘みが増します。

  ナベは段々小さくします。

 バケツ一杯が最後には500CCの水飴になります。

 甘いからパンにつけて食べたというご婦人もいます。

 ジャム感覚かもしれない。

 本朝では(これは古い用語で日本のこと)、やはりモチにつけて

 食べてほしい。

 

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